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金門の魅力は、 個人旅行に適した小さな島にいろいろな要素が盛り込まれている点です。
たとえば、史跡巡り、エコツアー、グルメの旅など、思い思いのミニ旅行がプランニングできます。
金門には一流ホテルもしだいに整備されてきたほか、民宿・ペンションが次々に登場し、金門の人たちの人情や風俗に触れるのには最適です。
サイクリングロードの設置も着々進み、金門が自転車の旅のメッカとなる日も近いようです。
車が少なく平坦なため、ペダルを踏んでいると快適そのものです。
ただ、春から夏にかけては霧、夏から秋にかけては台風に注意が必要です。
フライトの突然のキャンセルもありますので、余裕のあるプランを立てることが大切です。
問い合わせ
・ 金門国家公園管理処
金門県金寧郷伯玉路二段460号
電話 082-313100
Fax 082-313134
メール kmnp@mail.kmnp.gov.tw
・ 金門県交通旅遊局
金門県金城鎮民生路60号
電話 082-82-324174
Fax 082-82-320432
・ 金馬旅行社
金門県金城鎮光前路97号
電話 082-312512
Fax 082-312511
観光
金門観光の最大の魅力は、清時代の伝統住宅・集落がそのままに残っていることです。
これまで人口の流出が激しいため、空き家になっている例が多く、荒れるに任されていました。
金門県ではそれらの集落の修復と保護、そして利用に乗り出しています。
持ち主から三十年契約で借り上げ、県費で修復し、観光開発に役立ます。
この施策が着々と成果をあげ、現在、山后・瓊林・水頭・珠山・欧厝・南山・北山という七つの村がリニューアルされています。
その代表格が、最東端にある水頭村です。
修復のなった空き家は、業者に貸し出され、レストランや民宿として再出発しています。
水頭に入ると、まさに清代の福建省に迷い込んだ感覚です。
そのまま日常生活を続けている住民も多く、生活と観光が交錯した不思議な空間とも言えます。
水頭には、1931年に創られた金水国民小学校があります。
華僑が資金を工面して建てたもので、金水学堂と呼ばれる私塾でした。
一時は、日本軍の野戦病院にもなりました。
その後、閉校となり、いまは水頭導覧館として再生されています。
また、対岸との戦火の跡をたどることも金門観光の重要な柱です。
・古寧頭戦史館
1949年中国共産党軍が金門を夜襲、台湾軍と西部の嚨口・林厝・古寧頭一帯で、三日三晩にわたる地上戦を展開しました。
最後には共産党軍を追い払いましたが、この勝利は「古寧頭の戦い」と呼ばれています。
1984年戦場跡に古寧頭戦史館が建設され、当時の武器や史料が整理保存されています。
本島の西北端に位置し、付近には銃撃のあとを物語る弾痕だらけの洋館が残されています。
・翟山坑道
金門西南隅に位置するA字型をした地下道で、総延長は約357メートルです。
1961年から五年の歳月をかけて完成したもので、小型の艦艇を停泊させておく海軍の秘密基地です。
海側に二つの洞穴があり、一方のゲートから直接出撃できます。
陸上のトンネルから進入し下っていくと、ひんやりしています。
手掘りで進んだという荒々しい壁が当時の苦難を物語ります。
金門で戦争をもっとも実感できる史跡で、1998年から一般に開場されました。
・馬山観測站
中国大陸まで最短距離に設置された観測所です。
福建省の島「角嶼」までわずか2キロほどです。
観測所の地下坑道内部の望遠鏡で対岸をはっきり見ることが出来ます。
天気のいい日は肉眼でも見えるといいます。
最前線のここには馬山放送ステーションが設置され、かつては女性のアナウンサーが大陸の兵隊や住民向けに宣伝放送を続けていたそうです。
・毋忘在莒
平べったい金門島の最高峰は太武山で標高253メートルです。
車両は禁止されているために、みな歩きます。
およそ半時間上り詰めたところにたつ、一つの巨大な石碑です。
碑には、「毋忘在莒」という字が赤く刻まれています。
かつて蒋介石総統が訪れた際に戦国時代の斉国再興の故事にちなみ、「莒を忘れること勿れ」と兵隊に聞かせたそうです。
かつて映画上映の際に、国歌とともにこの映像が繰り返し登場したそうです。
・八二三戦史館
1958年、対岸から突然の砲撃が始まり、587名が戦死しました。
砲撃体験室では円形の密室が暗くなり、砲弾が飛来する音が交錯し、耳を劈く大きな炸裂音、そして床が立っていられないほどに振動します。
館内の展示から、いつ終わるとも知れない砲撃に必死に耐え続けた戦時下の生活が偲ばれます。
中には壊滅した村もあったそうです。
・乳山古壘
乳山ツーリストセンターのそばのかつての基地で、そのまま屋外に保存されています。
精巧な蝋人形の兵士が各所に銃を構えていますので、たいへんリアルです。
軍備・兵器の展示も充実しています。
中には日本製もあります。
・風獅爺(フォンスーヤ)
強風を鎮める神様で、金門に特有の魔除けの石像です。
街のいたるところにいて大きさも様々で、沖縄のシーサーにたいへんよく似ています。
現在本島内に公認されている風獅爺は68体です。
なかには大人の背よりも高いものがあります。
古いものは数百年の歴史があり、金門の人々を風雨や戦火から守ってきました。
・バードウォッチング
禁制の島であったため、金門には自然の姿がそのままに残っており、その生態は重要な観光資産になっています。
なかでもバードウォッチングが愛好家の人気を集めており、観光局や県の観光課では専門のガイドの育成を進めています。
・金沙ダム水庫
金門島北部沿海にあたり、栄湖、金沙ダム付近の養殖池、海辺、田野を含む。ガン・カモ科の越冬地です。
・慈湖
金門西北角に位置し、軍用のために突堤が作られ汽水湖となりました。
慈湖のほかに、双鯉湖・海辺の潮間帯・沼・樹林・湿地などを含みます。
金門国家公園のうち野生鳥類がもっとも多い地区です。
ガン・カモ科・サギ科・カモメ科・シギ科と四季を通じていろいろな鳥が楽しめます。
とくに冬季には三千羽のカワウが飛来します。
・浯江溪口
浯江溪の河口に位置します。
莒光湖﹑水試所の池と、海辺のマングローブ帯を含みます。
金門シギの最大の越冬地です。
・陵水湖と西湖
小金門のバードウォッチングのメッカです。
西湖と陵水湖の間約二キロの範囲に、冬季や早春には三、四十種の鳥類が観察できます。
・古崗至水頭沿岸
海岸の崖に夏の渡り鳥の栗喉蜂虎(ハリオハチクイ Blue-tailed Bee-eater)の巣が発見されています。
冬季には二、三千羽のガン・カモが飛来します。
・カワウ祭り
毎年11月から翌年1月にかけ、金門では、鸕鶿季というイベントが開催されます。
これがカワウ祭りです。
カワウは、日本でお馴染みのは鵜の仲間です。
野生の鳥の棲息地は年々少なくなっています。
金門には十月頃から千羽以上のカワウが飛来して当地で越冬し、翌年三月頃北に帰っていきます。
その期間を利用した金門の恒例の観光行事です。
・乳山ツーリストセンター
中山林南側にあって、金門の生態を展示しています。
二階に上がると、まずクジラ・イルカの標本が目に飛び込んできます。
金門を代表する植物、鳥類、潮間帯および湖底の生態が詳しく紹介されています。
・清金門鎮総兵署
清の康熙21年(1682年)から1992年までの310年間、金門の行政の中心であった役所です。
建物の設計は台湾的というよりは大陸的な雰囲気を感じます。
8年をかけきれいに整備され、公開されています。
・古崗楼
古崗湖畔の、朱色の壁と緑の屋根瓦が美しい3階建のお寺風の建物です。
1964年の建築と新しいですが、中に入れますので、3階から湖の景色を堪能できます。
・金門電話ボックス
朱色地に金色の字で「金門」を象ったインパクトのある電話ボックスです。
・翟山坑道(ディーサンこうどう)
1961年から5年を費やして完成したという戦備水道で、1998年に修繕後公開され現在は観光地となっています。
岩石のトンネルの中に貯水池があるイメージで、中は暗くてひんやりしていますが、水面に天井が映り美しいです。
・太武山
金門島のほぼ中央部にある標高253mの山で、ちょっとした山登りスポットとなっています。
ここの名所はなんといっても、1952年に蒋介石(蒋中正)が故事にちなみ書いた「毋忘在莒」(最初の字は母ではない)を彫ったという岩です。
台湾人は誰でも知っているといいます。
・太湖
1967年に完成した人口の淡水湖です。
太武山の比較的近くです。
・金門民俗文化村
20世紀初頭清代の伝統建築を保存し、家の内部も当時の生活の様子を再現しています。
金属器の中に水を浸してあり、周囲をこすると水が振動し跳ねる遊びもあり、歴史建築ファンならずとも楽しめます。
・雙鯉溼地生態館
カブトガニ(鱟)など、当地の湿地に住む動物の生態や自然に関して展示解説しています。
・小金門島
九宮碼頭 対岸の廈門を眺めることがきます。
烈嶼遊客中心 小金門島の中心街です。
四維坑道(別名九宮坑道) 烈嶼の南東部四維と九宮の間にあるダブルT字型水道で、全長790m、戦時下1960年代、兵士・物資の輸送補給用として造られたものです。
羅厝漁村 烈嶼で最も有名な媽祖廟『西湖古廟』が暮らしのひとつの要になっている漁業の村です。
烈女廟 またの名を仙姑廟といい、海岸でカキを採っていた時に共産党軍兵に捕まり、頑として貞操を守ったため恥をかかされたとして立腹した兵士に全裸で海に投げ込まれ、溺れ死し、1954年に死体が烈嶼まで漂流し、台湾側の兵士が拾い上げて埋葬された千姑・俗名王玉蘭(対岸廈門の女性)が祭られています。
湖井頭戦史館 823砲撃戦の際、いったん小康状態となった10月5日までの44日間に23万498発の砲弾が15k㎡の烈嶼に打ち込まれたそうです。
國姓井(剣井) 1646年に鄭成功が金門を反攻の拠点とするため部下を率いて烈嶼の湖井頭付近に上陸し、飲料水が切れ兵馬は疲労困憊状態になり、鄭成功が剣を持って周囲を調べ一点を剣で指して井戸を掘るように命じたところ、井戸からは懇々と水がわき出て、以来どんなに日照りが続いても涸れることがないそうです。
買物
・陶磁器
地質的に火成岩からなる金門島には陶土に恵まれています。
金門陶瓷廠には全国で唯一の官窯があり、庭は花園、二階は陳列館となっています。
1963年創建で、早期には日用品が多かったですが、現在は酒瓶や装飾品が増えています。
1997年になって場内に陶磁器博物館が設置されました。
各種金門高粱酒の酒瓶の製作過程が参観できるほか、粘土による作陶が体験できます。
・包丁
内戦時代に大陸から打ち込まれた無数の砲弾を材料にして作られた包丁が有名です。
金門を旅したらお土産には包丁、というのが定番だそうです。
1949年10月1日、中華人民共和国が成立を宣言し蒋介石は台湾に撤収、金門が対人民解放軍との最前線の基地となりました。
1958年8月23日から人民解放軍による大砲撃が勃発しました。
以後、44日間にわたり約50万発もの砲撃が金門に対して続きました。
その砲弾は現在金門の重要な観光資源の1つになり、金門の人たちは、砲弾の外側に使われていた鋼の品質に注目し、それを利用して包丁を製造し販売するようになったそうです。
鋼自体が品質がよく、外国人だけでなく、台湾人自身もお土産に買っていくほど名産品です。
・貢糖(ゴンタン)
金門みやげといえば貢糖が連想されるくらい有名なお菓子です。
サクサクとした花生(ピーナッツ)が主体で、日本人的にはきな粉の味がします。
台湾本島でも入手は可能です。
陳金福名記公司で工程が見学できます。
・コウリャン酒
金門が要塞の島となり、大量の兵隊が駐在してから、特殊な需要からコウリャン酒の生産が始まりました。
それまで庶民は芋焼酎を飲んでいましたが、いまではすっかり影を消し、金門といえばコウリャンといわれるまでにりました。
最高のものは、アルコール度58パーセントのものです。
金寧郷の金門酒廠実業公司の工場にはあらゆる製品が陳列されています。
・牡蠣
金門でもっともポピュラーな海鮮は生牡蠣です。
岩を海底に沈めて養殖し、岩牡蠣と呼ばれています。
食堂・屋台には、いろいろな牡蠣料理が登場します。
牡蠣オムレツ、牡蠣ソーメン、牡蠣スープ、牡蠣のお好み揚げとさまざまです。
釣具
水世界釣具 (082) 372252
如意釣具 (082) 332202
存成釣具 (082) 327060
東区釣具金門店 (082) 372006
金如意釣具 (082) 335833
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